(筆者) 立花所長
一般社団法人 国際フレイトフォワダーズ協会(JIFFA)殿発行の広報誌「JIFFA NEWS 2013年3月 第183号」の随想「海外だより(77)」に、弊社上海事務所に駐在する立花所長の執筆文が掲載されましたので、ご紹介致します。
“上海でのストレス発散”
JIFFA会員のみなさん、はじめまして。アオキトランス・上海の立花と申します。
私は、2010年4月に上海へ赴任し、魔か不思議な国“中国”での駐在員生活が来る4月で丸3年経とうとしています。日本人駐在員が世界一住みやすいと言われている上海ですが、異文化の地で仕事から私生活までいろいろなストレスを抱えながら、日夜葛藤されている日本人駐在員が多いと思います。今回、私が上海でストレス発散に大変役立っているランニングクラブ(Team Asia Running Club:通称TARC)について記したいと思います。
2010年4月に単身上海へ上陸し、その後数ヶ月はこの魔都で文字通り魔法にかかってしまいました。ご経験された方も多々(?)いらっしゃるかと思いますが、右も左もわからない土地、かつ言葉も通じない異文化の地でふと優しく包んでくれる癒しの魔法なのです。少し不摂生な生活が続き、気がついたら体重のパーソナルベストを更新(max 69kgs)していました。体重を気に掛けながらも、ストレス発散のためと思い呑み食いに腐心していた矢先、顧客からランニングクラブの紹介を受けました。当時49歳にして、今更ながら苦しい想いをして走ることに抵抗を覚えました。高校時代、当時当たり前のように行なわれていた“しごき”の記憶が蘇ってきて、正直躊躇していました。学校のトラックで、スピード練習するメンバーたちを横目に、自ら苦しい練習を課することなど微塵にも思いませんでした。
ところが、同じような境遇で上海に赴任しているメンバーたちに伴走してもらううちに、いつの間にか走力のない私でも受け入れてくれる空気を感じるようになりました。どんなに遅くても走り終わると、先にゴールしたメンバーが褒めてくれるのです。更に、汗を掻いて爽快な気分で頂く、練習後のビールは別物の魔法と化していました。その味が忘れらず徐々に心を開いていくようになりました。
週4回の練習は、初心者からアスリートレベルまで対応できる様、強化コーチ陣がメニューを練ります。毎週水曜夜のスピード練習(1時間)のほかに、メンバー同士親交が深められる様マラソンとピクニックを併せたマラニック(ゆっくりペースの長距離走)や、杭州・西湖ほとりの山を上り下りするトレイルラン、駅伝大会、はたまた夏合宿・お花見ラン・クリスマス会などイベントに事欠きません。
そんなメンバーとの練習を重ねていくうちに、週4回の練習でメンバーの顔を見ないと気分が優れない程どっぷりTARCに浸かってしまいました。減量とストレス発散を目的に始めたランも、いつしか2010年上海マラソン(ハーフ:結果2時間7分)・2011年&12年上海マラソン(フル)に参加できるだけのレベルになっていました。特に、2012年は想い出深い大会となりました。15キロ過ぎから30キロまで、これぞ中国人ランナーと見受けられる上下赤色ユニフォームのランナーが一緒のペースで走ってくれました。お互い見ず知らずでしたが、競うわけでもなく、同じペースで走っていこうと互いに以心伝心していたと思います。その中国人ランナーが沿道から差し入れられるお菓子やバナナを私に分け与えてくれたのです。お返しに日本で買ったスポーツジェルを30キロ地点で御裾分けしてやりました。おかげで35キロ以降のエネルギー補給ができなくなり、レース終盤は悲惨な形相で走ることになったのです。尖閣諸島問題で日中関係が危うくなり、上海マラソン直前まで日本人ランナー参加可否が問われていたので、上海マラソンに参加していなければ味わうことのできない感慨深いシーンでした。フルマラソンの結果は2011年3時間35分59秒、2012年3時間28分02秒でした。私よりお歳を召したランナーに数多く抜き去られたのを観ると、まだまだ精進が足りないことを感じざるを得ません。
皆さんもお気づきかと思いますが、中国での生活は、まず“我先に”なのです。電車・バスはもちろんハンバーガーショップの注文待ちでも割り込んで来ます。他人に気を掛けてくれることなどありません。待っていたら自らの命が事切れてしまう危機感が彼らのDNAに残っているのです。明らかに生命力は日本人より勝っています。日本の社会に慣れた方は、中国に来られると絶えずイライラしている状態になります。そんな理不尽かつ異様な社会で、些細な事に腹を立てるより、自分を見失わないで一歩ずつ前へ進むことを教えてくれたのがマラソンでした。更に、駅伝大会となると襷に想いを込めて次走者へと繋いでいきます。その姿は、荷物に込められた荷主の想いまで顧客へと届けている日本の物流業のように思えます。荷物を手荒く扱うような人たちとレベルがはるかに異なります。このように客観的に観られるようになったのもランの効用と信じています。
昨今は、中国から飛来するPM2.5の数値を日本でも気にする様な風潮です。在上海アメリカ領事館が公表しているPM2.5の数値も、冬場には”Very unhealthy”の範疇に組み込まれる日も多くなってきたことも事実です。この先どのような影響が出てくるのか不安ですが、厳しい環境でも耐え得る体作りと悟って走り続けます。そして日本に帰任しても一生涯付き合っていけるランニング仲間に出会い、苦楽を共にした経験はリスクなどに惑わされないほどかけがえのない宝物です。
この先、悲観的な想いで人生を送るより、たった一度の人生をTARCの乾杯音頭のように“呑めば、呑むほど速くなる”を信条にこれからも人生を走り続けたいと思っています。
“上海でのストレス発散”
JIFFA会員のみなさん、はじめまして。アオキトランス・上海の立花と申します。
私は、2010年4月に上海へ赴任し、魔か不思議な国“中国”での駐在員生活が来る4月で丸3年経とうとしています。日本人駐在員が世界一住みやすいと言われている上海ですが、異文化の地で仕事から私生活までいろいろなストレスを抱えながら、日夜葛藤されている日本人駐在員が多いと思います。今回、私が上海でストレス発散に大変役立っているランニングクラブ(Team Asia Running Club:通称TARC)について記したいと思います。
2010年4月に単身上海へ上陸し、その後数ヶ月はこの魔都で文字通り魔法にかかってしまいました。ご経験された方も多々(?)いらっしゃるかと思いますが、右も左もわからない土地、かつ言葉も通じない異文化の地でふと優しく包んでくれる癒しの魔法なのです。少し不摂生な生活が続き、気がついたら体重のパーソナルベストを更新(max 69kgs)していました。体重を気に掛けながらも、ストレス発散のためと思い呑み食いに腐心していた矢先、顧客からランニングクラブの紹介を受けました。当時49歳にして、今更ながら苦しい想いをして走ることに抵抗を覚えました。高校時代、当時当たり前のように行なわれていた“しごき”の記憶が蘇ってきて、正直躊躇していました。学校のトラックで、スピード練習するメンバーたちを横目に、自ら苦しい練習を課することなど微塵にも思いませんでした。
ところが、同じような境遇で上海に赴任しているメンバーたちに伴走してもらううちに、いつの間にか走力のない私でも受け入れてくれる空気を感じるようになりました。どんなに遅くても走り終わると、先にゴールしたメンバーが褒めてくれるのです。更に、汗を掻いて爽快な気分で頂く、練習後のビールは別物の魔法と化していました。その味が忘れらず徐々に心を開いていくようになりました。
週4回の練習は、初心者からアスリートレベルまで対応できる様、強化コーチ陣がメニューを練ります。毎週水曜夜のスピード練習(1時間)のほかに、メンバー同士親交が深められる様マラソンとピクニックを併せたマラニック(ゆっくりペースの長距離走)や、杭州・西湖ほとりの山を上り下りするトレイルラン、駅伝大会、はたまた夏合宿・お花見ラン・クリスマス会などイベントに事欠きません。
そんなメンバーとの練習を重ねていくうちに、週4回の練習でメンバーの顔を見ないと気分が優れない程どっぷりTARCに浸かってしまいました。減量とストレス発散を目的に始めたランも、いつしか2010年上海マラソン(ハーフ:結果2時間7分)・2011年&12年上海マラソン(フル)に参加できるだけのレベルになっていました。特に、2012年は想い出深い大会となりました。15キロ過ぎから30キロまで、これぞ中国人ランナーと見受けられる上下赤色ユニフォームのランナーが一緒のペースで走ってくれました。お互い見ず知らずでしたが、競うわけでもなく、同じペースで走っていこうと互いに以心伝心していたと思います。その中国人ランナーが沿道から差し入れられるお菓子やバナナを私に分け与えてくれたのです。お返しに日本で買ったスポーツジェルを30キロ地点で御裾分けしてやりました。おかげで35キロ以降のエネルギー補給ができなくなり、レース終盤は悲惨な形相で走ることになったのです。尖閣諸島問題で日中関係が危うくなり、上海マラソン直前まで日本人ランナー参加可否が問われていたので、上海マラソンに参加していなければ味わうことのできない感慨深いシーンでした。フルマラソンの結果は2011年3時間35分59秒、2012年3時間28分02秒でした。私よりお歳を召したランナーに数多く抜き去られたのを観ると、まだまだ精進が足りないことを感じざるを得ません。
皆さんもお気づきかと思いますが、中国での生活は、まず“我先に”なのです。電車・バスはもちろんハンバーガーショップの注文待ちでも割り込んで来ます。他人に気を掛けてくれることなどありません。待っていたら自らの命が事切れてしまう危機感が彼らのDNAに残っているのです。明らかに生命力は日本人より勝っています。日本の社会に慣れた方は、中国に来られると絶えずイライラしている状態になります。そんな理不尽かつ異様な社会で、些細な事に腹を立てるより、自分を見失わないで一歩ずつ前へ進むことを教えてくれたのがマラソンでした。更に、駅伝大会となると襷に想いを込めて次走者へと繋いでいきます。その姿は、荷物に込められた荷主の想いまで顧客へと届けている日本の物流業のように思えます。荷物を手荒く扱うような人たちとレベルがはるかに異なります。このように客観的に観られるようになったのもランの効用と信じています。
昨今は、中国から飛来するPM2.5の数値を日本でも気にする様な風潮です。在上海アメリカ領事館が公表しているPM2.5の数値も、冬場には”Very unhealthy”の範疇に組み込まれる日も多くなってきたことも事実です。この先どのような影響が出てくるのか不安ですが、厳しい環境でも耐え得る体作りと悟って走り続けます。そして日本に帰任しても一生涯付き合っていけるランニング仲間に出会い、苦楽を共にした経験はリスクなどに惑わされないほどかけがえのない宝物です。
この先、悲観的な想いで人生を送るより、たった一度の人生をTARCの乾杯音頭のように“呑めば、呑むほど速くなる”を信条にこれからも人生を走り続けたいと思っています。
2013年1月 上海駅伝大会
夏の杭州トレイルラン